2009/10/10(土)ねむようこ「午前3時の無法地帯」

2009/10/10 18:16 これはおすすめ
漫画でも何でも、恋愛物は好きではないのでまず読まないのですが、そんな好き嫌いをぶち抜いて面白かったのがこちら。

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午前3時の無法地帯(1)
なんで買ったのかといえばまたジャケ買いなんですが。カバーすばらしいです。

で、ジャンル的に疎いこともあって何がいいのかと言われると難しいのですが、なんというか、表現がいいのかな。本筋以外の部分でも楽しめるポイントが多いというか、小ネタとかキャラクターとか心情の描き方とかが魅力的で、漫画としての総合力がすごく高い気がする。一コマ一コマが楽しい。

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ペンとチョコレート
↑新刊も買ったのですが、こちらも表現がいろいろ楽しい。
角砂糖の積み上げぐらぐらやスクリーントーンを選ぶシーンなど、かなり好きです。

主に女性誌で恋愛物を描いているようですが、もっと老若男女を問わず、広く活躍できる作家さんなのではないかと思いました。
ねむようこさん、今後の活躍に期待です。

2009/10/10(土)昔のブログからインポート

2009/10/10 17:42 雑記
ブログは今ので3つ目ですが、古い記事を自分で参照したくなることも結構あって、分散していると不便なのでエクスポート&インポートによってこのadiaryに取り込むことにしました。
1つめがseesaa、2つめはblosxomです。

seesaaはMT形式でエクスポートできるのでそれを使用。
問題はblosxomですが、シンプルが売りのツールだけあって当然エクスポートなんぞは用意してません。なので変換スクリプトをperlで用意。記事もコメントも少ないので手作業も混ぜながらMT形式に変換しました。

でも、MT形式に変換できてもインポートはそう楽ではないですね。テキストはスムーズにインポートされますが、画像は元のブログのドメインを見に行くわけだし、ブログ間リンクも古いドメインのまま。というわけで結局一個一個の記事をちまちまいじりながらのインポートになりました。うん、面倒!

考えてみたら画像はFlickrとかに全部上げるようにすればブログ移転したりしても無問題なのか。ブログに限らず、画像関連は全部どっかのサービスに預けちゃっておくと何かと移動の際には楽かもしれないですね。
要検討しよう。

2009/10/03(土)ブロガーの本棚の更新情報をtwitterで配信開始

2009/10/04 9:35 開発日誌
ブロガーの本棚の新着書評をtwitterで流してみることにしました。
どうぞご利用ください。
ブロガーの本棚@twitter

ブロガーの本棚は多いときには新着書評が1日40件近くなる場合もあるので、RSSリーダーでがんばって読むよりもtwitterでなんとなく流れてくるぐらいの方が気軽でいいかもしれません。

配信にはtwitterfeedを使っています。

2009/10/03(土)ベルとふたりで

2009/10/03 18:06 これはおすすめ
ジャケ買いにはかなり自信があるのですが、今日本屋でなんとなく表紙に惹かれて買った漫画が大ヒット。

ベルとふたりで
ベルとふたりで/伊藤黒介

7歳の女の子と大きな飼い犬のお話。
というと心温まるほのぼの路線かと思われるかもしれませんが、中身はかなりハイテンション。舞台となるのはなにげない日常なんですが、表現形態がかなり鮮やか。というか自由。どこまでも自由。
いかにも漫画的な表現による、いきいきとした描写がすばらしい良作です。そしてギャグ自体は結構身も蓋もない(笑。

一つ一つのネタやキャラクターはあまり捻ってはいないので、落ち着いて見ちゃうと結構凡庸な印象もあるかもしれませんが、表現とリズム感が卓越してるのでぐいぐい惹き込まれます。
なぜかオヨネコぶーにゃん思い出した。ちょっと近いものがあるかも。

作者ご本人のブログはこちら。
ブログの方は結構硬派な内容だったので最初意外に感じたのですが、でもこの土台があるからこそ単なるハチャメチャではない、魅力的な「自由さ」につながっているんだろうなと妙に納得しました。

続刊も楽しみ。

2009/10/01(木)意見と人格を切り分けるために

2009/10/01 20:16 考察
ネットでよく見かける「議論では意見と人格を切り分けましょう」って話。「欧米人はそれがうまいよ。日本人は下手だね」っていうやつについて、ちょっと思うところを。

本来的には、意見と人格は切り離せない。意見というのはその人と関係ないところから生まれてくるのではなく、生まれ、育ち、周囲の環境などさまざまなバックグラウンドがあって生成されるので、むしろ意見というのは人格の総決算ですらあるはず。なので意見を否定されれば不快になるのはむしろ当然。
しかし、切り離しておかないとうまく議論できない。だから便宜上、切り離すことにしましょう、ってことになるわけで、切り離すのが当然!ではないと思う。

じゃあ、どうするかっていう話だけど、どうも「人格を切り離せるよう冷静になって議論する術を身につけましょう」みたいな結論が多いように思う。
しかし、必要なのは「冷静さ」とか「大人な態度」とかではなく、相手との信頼関係ではないだろうか。
議論の相手が嫌味ったらしい揚げ足取りばかりしてくるような人間だった場合、またはどうにも生理的に馬が合わない人間だった場合、はたまた全く目的やビジョンが食い違っている人間だった場合、それでも「意見は意見なんだから人格と切り離して冷静に…」なんて考えて取り合ってると疲れるばっかりで何の得もない気がする。冷静さ云々の前に、尊重できる相手であると思えるからこそ、多少荒っぽい議論をして否定されまくっても「意見は意見だから」と割り切れるのではないだろうか。

そう考えると、欧米は人材の移動が激しく、ある程度議論やビジネスの相手を選べるし、いざとなれば縁も切りやすいのに比べ、日本はどっちかというと生まれた土地、入った会社から動かないまま、好き嫌いに関わらずいろんな人間と折り合いを付けていくのが一般的だったから、そんな相手を選べない状態のまま「冷静な議論」に徹すると変な冷静さ(=冷めた態度)ばっかり身についてあまり生産性はないように思う。相手を選べない状態では「意見を切り離す」よりも適当に人格を認め合って和んでおく方が物事が優位に運びやすいのではないだろうか。

もちろん欧米でも付き合う相手をそんなに自由に選べるわけではないだろうが、いざとなったら別れればいい、コイツと一生付き合わなきゃいけないわけじゃないし!っていう大陸的発想があるかないかでずいぶん違うような気がする。

なので日本人が議論上手になるためには人間の流動性が上がることも必要では。今のまま学校教育でディスカッションとか覚えてもギスギスするばかりな気がする。「意見と人格は切り分けて当然!」と「怒らない冷静さ」を身につけるよりも、否定されても納得できる相手を探して熱い議論を交わすことの方が目指すべきところじゃないかと思った。
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