2009/10/26(月)クラウドと、人類が身の程を知る歴史

2009/10/26 16:37 考察
今週のNEWSWEEK、「クラウド化知的生産革命」という特集に惹かれて購入。

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Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2009年 10/28号

特集最初の「人類をリセットクラウド革命」の項がとてもおもしろかったです。
単体の存在から相互につながる情報の共有体へ
技術の進歩による「第4の革命」が人間の定義を覆す
というサブタイトルにはじまるこの項。印象に残った部分を抄録します。
コペルニクス以後、それまでの地球中心の宇宙観に太陽中心の宇宙観が取って代わり、人間を宇宙の中心から追い出した。ダーウィンはすべての生物種が自然淘汰によって共通の祖先から進化してきたことを示し、人類を動物界の中心から追い出した。そしてフロイト以降、私たちは精神も無意識の産物であり、抑圧という防衛機制に影響されることを理解するようになった。
つまり私たちは宇宙の中心に位置する不動の存在ではなく(コペルニクス革命)、他の動物たちと切り離された別個の存在でもなく(ダーウィン革命)、自分自身を完全に理解できる純粋な合理的精神などでは決してない(フロイト革命)。

(中略)

クラウド・コンピューティングは、この第4の革命の最も新しい現象だ。私たちは現在、コンピューターと最も相性がいい相棒はコンピューター自身だという事実を徐々に認識しつつある。コンピューターは人間を必要としない。それどころか人間は本来、コンピューターの輪の中にいるべきではない。クラウド・コンピューティングは、この輪の中から潔く出ていこうとする人間の初めての試みだ。
なるほど人類の歴史は身の程を知る歴史とでも言えましょうか、常に自分たちが孤高の存在であることを望みながらも徐々に現実を受け入れてきたわけです。最近はあまり聞きませんがコンピュータに対する人間のすばらしさ、みたいな変にコンピューターと競おうとする物言いはよくありました。人間はコンピュータなんかより立派だ、みたいな。
チェスとか将棋とかで人間とコンピューターを対戦させたりしますが、あれもコンピューターの輪に人間が意地張って座ってるイメージがあります。あんなのさっさと負けるべきなんでしょう。どっちが立派とかいうことではなくコンピュータに得意な分野はどんどん任せ、人間はその周りで人間にしかできない創造的なことをやりましょう、という至極まっとうな、適材適所の発想にようやく行き着くのだと思います。人類の自意識と現実の食い違い、という意味で地動説と対比したのはなるほどと思いましたね。
現在、大企業の時代から個人の時代へ向かってると思うのですが、これも人類の活動の中心が人の集合である企業ではなくコンピュータ(=クラウド)に置き換わり、個々人や企業はその周りで衛星のように活躍していくというイメージで考えると同じようなものかな、と思います。

で、前にあんまりネットに情報を預ける習慣がないみたいに書きましたが、最近ノートPCを持ち出して外で仕事することも増えてきたので、この記事で触発されたこともあって、ちょっと意識改革してクラウド環境に軸足を移してみることにしました。sugarsyncを本格的に使い始め、メールはGmail×IMAP×QMAIL3という環境にしました。しばらく試してみます。ちなみにこのQMAILはメールクライアントとしてはかなり軽くておすすめですよ!

2009/10/11(日)オンラインストレージにすべてを預ける?

2009/10/12 16:52 考察
オンラインストレージをいろいろ検討してました。
有名どころのDropboxをはじめ、zumodrivesugarsyncなど。

事の発端は「仕事するのにオフィスはいらない」で佐々木俊尚さんがオンラインストレージをかなり本格的に活用している、と書かれていたこと。
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仕事するのにオフィスはいらない

いままで、どちらかというとネットサービスに情報をむやみに預けるもんじゃない派だったので「オンラインストレージで大半のデータを管理する」という発想が全くなかったのですが、佐々木氏曰く、自分のHDDが破損したり、ノートPCやUSBメモリが盗まれたり紛失したりする確率に比べれば、頑丈で厳重に管理されたデータセンターに預けちゃう方がよっぽど安全だ、とのこと。言われてみれば確率的にはなるほどその通りでしょうね。
ただ、amazonのウィッシュリストだだ漏れやgoogleマップでの非公開情報にアクセスできちゃった件など、いろんな事件を見ているとやはりネットサービスに大事なデータを預ける、ということに対してまだ不安はあります。でも考えてみれば我々は大切な自分の財産を銀行などという第三者に預けて当然のごとく安心しきっているわけで。大事な情報だからこそネットサービスに預ける、というのは今後むしろ一般的になっていくのかもしれません。

ネット上のコメントでは、オンラインストレージには漏洩しちゃ困るものは預けないように!なんて書き込みもよく見かけました。今の段階ではもっともですが、でもこういうサービスって漏洩しちゃ困るものを預けられないようではサービスとして不完全でしょう。仕事上の重要な取引データをどこからでも引き出せてこそ、の利便性なはずです。

まだ過渡期なので、「大丈夫だよ!」なんて無責任なことは言えませんが、情報をどこで管理するのか、そろそろ意識改革が必要な時期かもしれません。
将来的には保証制度も含めたサービスもあり得ますし、こういうサービスこそ、おおざっぱな欧米人よりも絶対止めない新幹線を作り上げた日本人の出番かもしれません。

…で、さっそく昨日からsugarsyncを使っているんですが、今日、なぜかアクセスできず「パフォーマンス上げるためのメンテナンス中」との画面が…。この手のサービスをメンテ理由で止めてしまうのはかなり問題だと思うのですが、やっぱり過渡期なんでしょうね。将来の発展に期待、といったところです。

2009/10/01(木)意見と人格を切り分けるために

2009/10/01 20:16 考察
ネットでよく見かける「議論では意見と人格を切り分けましょう」って話。「欧米人はそれがうまいよ。日本人は下手だね」っていうやつについて、ちょっと思うところを。

本来的には、意見と人格は切り離せない。意見というのはその人と関係ないところから生まれてくるのではなく、生まれ、育ち、周囲の環境などさまざまなバックグラウンドがあって生成されるので、むしろ意見というのは人格の総決算ですらあるはず。なので意見を否定されれば不快になるのはむしろ当然。
しかし、切り離しておかないとうまく議論できない。だから便宜上、切り離すことにしましょう、ってことになるわけで、切り離すのが当然!ではないと思う。

じゃあ、どうするかっていう話だけど、どうも「人格を切り離せるよう冷静になって議論する術を身につけましょう」みたいな結論が多いように思う。
しかし、必要なのは「冷静さ」とか「大人な態度」とかではなく、相手との信頼関係ではないだろうか。
議論の相手が嫌味ったらしい揚げ足取りばかりしてくるような人間だった場合、またはどうにも生理的に馬が合わない人間だった場合、はたまた全く目的やビジョンが食い違っている人間だった場合、それでも「意見は意見なんだから人格と切り離して冷静に…」なんて考えて取り合ってると疲れるばっかりで何の得もない気がする。冷静さ云々の前に、尊重できる相手であると思えるからこそ、多少荒っぽい議論をして否定されまくっても「意見は意見だから」と割り切れるのではないだろうか。

そう考えると、欧米は人材の移動が激しく、ある程度議論やビジネスの相手を選べるし、いざとなれば縁も切りやすいのに比べ、日本はどっちかというと生まれた土地、入った会社から動かないまま、好き嫌いに関わらずいろんな人間と折り合いを付けていくのが一般的だったから、そんな相手を選べない状態のまま「冷静な議論」に徹すると変な冷静さ(=冷めた態度)ばっかり身についてあまり生産性はないように思う。相手を選べない状態では「意見を切り離す」よりも適当に人格を認め合って和んでおく方が物事が優位に運びやすいのではないだろうか。

もちろん欧米でも付き合う相手をそんなに自由に選べるわけではないだろうが、いざとなったら別れればいい、コイツと一生付き合わなきゃいけないわけじゃないし!っていう大陸的発想があるかないかでずいぶん違うような気がする。

なので日本人が議論上手になるためには人間の流動性が上がることも必要では。今のまま学校教育でディスカッションとか覚えてもギスギスするばかりな気がする。「意見と人格は切り分けて当然!」と「怒らない冷静さ」を身につけるよりも、否定されても納得できる相手を探して熱い議論を交わすことの方が目指すべきところじゃないかと思った。