最近二千円札を見てない。
もともとレアな存在ですが、最近さっぱり。
ひそかに回収が進められていたりするんですかね。
今まで日本では「2」のお金が無かったので、「二千円札ができる」と聞いたときは、なんとなく「新しい文化」の香りを感じて結構素直に面白そうだと思ったんですが世間では最初からずいぶんと酷評されてました。
まあ、二千円札は自動販売機に入らないし、ATMにも券売機にも都合が悪い。システムサイドから見ればいまさら受け入れがたい存在なのは確か。さらに携帯でmobile Suicaだとかネットで使える電子マネーみたいなものが普及していけば、ますます硬貨・紙幣は必要なくなっていくし、電子データであればどんな端数でも自在にやり取りできるわけで、そんな時代迎えようというときに「2」という新しい「区切り」をわざわざ作るというのは無意味といえば無意味。
でもそれもなんだか味気ないものだなあと思ってしまう。
いままで「2」が無かったということ自体が日本の文化のひとつの表れだと思うし、自分たちの国が育んだ偉大な文化人を紙幣に刷ったり、革命を起こしたヒーローの顔を硬貨に刻む、というのも「国の文化」だと思うのですが、そういうものが電子化によって徐々に失われていくのかな。
最近はWebでグローバリゼーションだとかフラット化する世界だとか国境は関係ないとかネットの上で日本人であるとはどういうことかとかいろいろ言われていますが、こんなところからも国ベースのアイデンティティが失われつつあるように感じました。
二千円札はもう少し前の時代であれば受け入れられたんじゃないかと思います。地域の商店街が活きている頃の人の手によるやり取りであれば二千円が入り込む余地もあったのでは。
そう考えると小渕さんの二千円札てのは「システム化」に対する一つの挑戦であったようにも思えてくる。
で、その結果はというとこの有様で。
なんとなく社会がWebを絡めた巨大なシステムに飲み込まれていくことを象徴しているように思いました。
ところでなんで日本には「2」のお金が無かったんでしょうか。「日本人は割り切ってしまうことを嫌うので奇数が好き」、なんてよく言われますがそれが関係してるんですかね。